チラシ邦画(日本映画)
トービジョン第1作「飛び出した日曜日」井上大助、上田猛、青山京子、監督・村田武雄/第2作「私は狙われている」代々木明子、田代百合子、監督・田尻繁/作品解説、物語、トービジョンの原理、撮影方式、映写方式、スクリーンなど説明入り・東宝/大手映画会社の中で、秘密裏に3Dシステムの開発を進めていた東宝は戦時中、海軍と協力関係を持つことで、厳しく統制されていた生フィルムを大量に確保し、そのストックから娯楽映画を作っていた。そして軍の要請で戦意昂揚映画を作ると同時に、東宝第2撮影所となる航空教育資料製作所において、海軍航空隊の教育資料や教材映画も制作していた。ここで技師を務めていた岩淵喜一は、1941年(昭和16年)から立体映画撮影装置の研究を開始し、1943年(昭和18年)一応の完成を見た。「トービジョン」という名称が与えられたこのシステムについて、岩淵は「一時は軍の航空資料研究にも役立てられた」と戦後に述べている。つまり、何らかの軍事目的で使用されていたらしい。だが、1945年(昭和20年)8月15日に終戦を迎えると、航空教育資料製作所は解散した。そして翌16日には、全てのネガが撮影所内に埋められ、あるいは焼却されたという。トービジョンで撮影された3Dフィルムも、この時に失われてしまったと想像される。■ついに日の目を見たトービジョン1952年11月30日にアメリカで「ブワナの悪魔」が公開されてセンセーショナルを巻き起こし、世界は一気に3D映画の時代に突入した。東宝はこの動きに敏感に反応し、東宝立体映画対策委員会を設けて、「ブワナの悪魔」の国内公開(1953年5月9日)よりも早く、国産立体映画を制作する計画を立てる。
そこで、岩淵を中心にトービジョンを用いた立体映画制作班が組織され、日本映画初となる2本の短編3D劇映画が作られた。当時の貴重な公開予告映画チラシ/日劇・1952年
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